2112年04月22日

はじめに

このブログは、昨今、小林よしのりをはじめとする一部の著述家たちが、アイヌという民族は存在しない、アイヌは先住民族でない、侵略はなかった、日本は単一民族だ、などと主張し、アイヌについて歴史的事実を歪曲しようとしていることを憂慮し、その内容について真剣に検討したものです。

また学術的にも妥当性・公平性を欠く民族否定論も散見されますのでそれらについても検討したいと思っています。
その他、アイヌ関係に限らず、話の流れで、私の関心のある分野について書くこともあるだろうと思います。


何かお気づきの点がありましたらご意見をお聞かせください。
自分と意見の異なる人を尊重し、話し合う姿勢のある方でしたら、私と異なる見解の方でも拒否いたしません。

コメントに対しては、できるだけ返答するようにします。
また、ここで述べられている見解は、私の個人的な見解であり、いかなる団体・個人とも関係ありません。

事実の記述については、正確を期していますが、もし間違いなどがありましたら、訂正するようにします。
誤字脱字や細かい字句の修正はわざわざ報告しませんが、重要な訂正や改変があった場合は、明記するようにします。

なお、論述の文章は、基本的にだ・である体で書きます。また研究者・著述家・歴史的人物については敬称略とします。

なおブログ名のrutke(ルッケ)とは、アイヌ語で「討論する」という意味です。よく使われる「チャランケ」と同じような意味です。
もともと「押す」というような意味ですが、自分の主張を押し出すということだと思います。
このブログは日本の歴史、日本社会への私のrutkeです。

この「はじめに」は、一番上に来るように日付を100年後の2112年にしてあります。
一番下にある文章が一番古いものです。
ただ、この先、文章がたまったら読みやすいように整理して体裁を変えるかもしれません。
【関連する記事】
posted by poronup at 00:15| 北海道 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月19日

ご挨拶

1年以上、更新をしないでおりましたが、申し訳ありません。


仕事や私事などもろもろで忙しく、しばらく更新をさぼっていました。


ただ、カウンタはそこそこあがっているので、ネット検索する中でこのブログを見つけて読んでくれている方は結構いらっしゃるようです。


読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。


今までいくつかコメントを書きこんでくれた方がいらっしゃいました。

論争的なトピックなので、反論があって論争になることも覚悟していましたが、論争らしきものはほとんどありませんでした。


私の文章に対する批判的なコメントが1度だけあり、私なりに返答させていただきましたが、そのあと返答はなく、そのままになっています。


私とは異なる意見をお持ちの方、どうぞお書き込みください。

罵倒やののしり、落書きでなく、きちんと礼節を守って、根拠を示して、反論してくださる方にはきちんとお応えしたいと思います。


もし私の見解に問題がある場合は、文章を訂正する覚悟もしております。


さて、いろいろ書きたいこともあったのですが、ここしばらく非常に忙しくてこちらは放置している状態になっておりました。

時々休止することもあるかと思いますが、ここで意見を表明しておけば、読んでくれて考えるきっかけにしてくださることもあるかと思うので、これからもこのブログは続けるつもりでおります。


ここ数日、金子快之札幌市議会議員の「アイヌ民族もういない」という趣旨の発言が問題になっています。

この書き込みは、この問題がきっかけというわけでなく、ちょうどブログの更新に向けて文章を書き溜めて準備をしていたところだったのです。


近日中に文章アップしたいと思います。

いわゆる「利権」の問題やアイヌ関係補助金制度の問題を中心に書こうと思っています。

posted by poronup at 08:29| 北海道 ☔| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月20日

とりあえずのまとめ

とりあえず、今まで資料をもとに検証した樺太アイヌの宗谷および対雁への移住について、箇条書きでまとめてみる。

1、千島樺太交換条約の結果、先住民族である樺太アイヌは国籍および居住地の選択を迫られた。
2、政府側には最初そういう意向はなかったが現場の役人の提案によって話が進み、行政側が主導でアイヌの北海道移住を積極的に進めた。
3、その結果、樺太南部の841人(資料により多少変動あり)のアイヌが北海道の宗谷に移住した。
4、国籍選択についての3年の猶予が設定されたにもかかわらず、移住するか否かの意思決定の期限を政府が早急に設定したので、アイヌ側がじっくり検討する時間がなく、十分な準備がない状態での移住となった。
5、樺太から宗谷への移住については、今分かっている範囲の記録によると、暴力による脅迫によるものであったとは今のところ判定できない。ただし、行政側からの強い働きかけ、主導があった。
6、政府側には樺太アイヌを石狩方面に移住させる案が早い時期からあったが、アイヌ側の抵抗があったので実行できず、まずはとりあえず宗谷への移住となった。
7、宗谷に移住後、政府側が、アイヌの石狩移住を進めようとしたがアイヌが同意しないので交渉は難航した。
8、詳しい経緯は分からないが、アイヌの長たちによる移住についての同意書が作られた。
9、しかし、現地視察の結果、アイヌ側からの反対の声が強かった。
10、長たちは同族たちの反対が強いので、移住を強行しないよう嘆願書を出した。
11、政府のなんとしてもアイヌの石狩移住を断行する考えは変わらず、結局銃を持つ官憲を派遣し、アイヌの移住を強行した。
12、船からの大砲の射撃による脅迫もあった。

以上が、私が資料を検証して得た、今時点での見解である。
宗谷への移住の段階から「強制移住」であるという見解もあるが、私は今時点では、「強制連行」と表現するのは妥当でないと考えている。
もし事実認識や解釈の間違いがあれば指摘がほしい。
posted by poronup at 22:10| 北海道 ☔| Comment(0) | 樺太アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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